特許件数では中国がトップ、しかしTPA(総合特許資産)では日米が圧倒的優位! ミクロの体内バイオセンサー「腸内細菌叢(マイクロバイオーム)」が変えるウェルビーイングの未来
著者:アスタミューゼ株式会社 イノベーション創出事業本部 エグゼクティブチーフサイエンティスト 川口伸明(薬学博士)
1. はじめに
かつて腸内フローラとして知られていた私たちの体内に常在する腸内細菌叢。今では、マイクロバイオーム(microbiome:微生物叢・細菌叢)と呼ばれることが一般的です。
マイクロバイオームとは、本来、地球上の様々な場所(生体、土壌、海洋など)に存在する微生物群集やその生態系を指す言葉。叢(そう)という漢字は、群集を意味します。ヒトにおいては、皮膚や口腔、鼻腔、泌尿・生殖器、消化管内などにマイクロバイオームが存在しますが、腸管内に常在する腸内マイクロバイオーム(腸内細菌叢、腸内常在菌叢)が特に多く、成人の腸管内には、1,000種100兆個以上、重量にして1~1.5キログラム(体重60キログラムの場合)の腸内細菌が常在するといわれます。ヒトの身体はヒト一種類だけの細胞集合ではなく、多様な生物叢の集合体に他なりません。
腸内細菌叢を対象とした研究は1960年代から活発に行われ、善玉菌や悪玉菌などの系統分類が行われましたが、技術的な限界もあり、腸内細菌叢の全体像や宿主との関係を解明するには至りませんでした。しかし、2000年代に入り、次世代シーケンサの登場やメタゲノム解析(多種類の微生物のDNAを混在したまま同時に解析する)技術の発展により、菌叢の構成(種多様性)や細菌のゲノム配列などの知見が蓄積されてきたことで、腸内細菌叢が、ヒトの代謝系、免疫系、脳神経系などの生体制御に大きな影響を持つことが分かってきました。
また、一人ひとりの持つ腸内細菌叢の多様性(菌種や構成比率)は、年齢や性別、遺伝的特性、生活習慣(食・運動・睡眠等)、既往歴(過去に罹った病気とその処置・処方)、心理的要素(ストレス)、環境、居住する国や地域によって大きく異なることも判明しています。
菌叢構成によって罹りやすい病気や症状の強さが異なる例も示されているほか、Covid-19のような感染症に関しても、菌叢によって重症化リスクやワクチンの効果などに差があったとする報告もあります(参考文献1,2)。
参考文献1:Yun Kit Yeoh et al., Gut microbiota composition reflects disease severity and dysfunctional immune responses in patients with COVID-19
Gut. 2021 Apr;70(4):698-706. doi: 10.1136/gutjnl-2020-323020. Epub 2021 Jan 11.
<https://gut.bmj.com/content/70/4/698>
参考文献2:Siew C Ng et al., Gut microbiota composition is associated with SARS-CoV-2 vaccine immunogenicity and adverse events.
Gut. 2022 Jun;71(6):1106-1116. doi: 10.1136/gutjnl-2021-326563. Epub 2022 Feb 9.
<https://gut.bmj.com/content/71/6/1106>
マイクロバイオーム自体が、体内に宿るミクロのバイオセンサーとして認識される時代に入ったと言えるでしょう。
1-1. 腸内細菌叢と疾病リスク、脳腸相関・HPA軸
生活習慣の変調や加齢に伴い、腸内細菌叢の分布が変わったり、多様性が低下したりする「ディスバイオシス」(dysbiosis)と呼ばれる状態になります。生活習慣病やがん、認知症などの加齢性疾患をはじめ、多くの疾病がディスバイオシスに深く関係していることが明らかになってきました。
潰瘍性大腸炎やクローン病では、腸内細菌叢がその代謝物質を介して疾患に関与している可能性が示唆されています。さらに、食物アレルギーをはじめ様々なアレルギー性疾患、糖尿病や肥満などの代謝性疾患などにも、腸内細菌叢との関連が示唆されています。
さらに近年、腸内細菌叢がうつや自閉症(発達障害)、アルツハイマー病など中枢神経変性疾患の発症リスクなど脳の働きにまで影響を及ぼすという「脳腸相関」(腸脳軸)を示す事例が多く知られるようになりました。ハーバード大学の研究チームは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)や前頭側頭型認知症(FTD)の発症リスクが腸内細菌叢の組成によって変わることを示しています(参考文献3)。
参考文献3:Ping Fang et al., Gut microbes tune inflammation and lifespan in a mouse model of amyotrophic lateral sclerosis.
Nature 582, pp.89–94 (2020)
<https://www.nature.com/articles/d41586-020-01335-3>
また、間脳視床下部-脳下垂体-副腎の間で互いにフィードバックしながら生体反応を制御する「HPA軸」(Hypothalamic-Pituitary-Adrenal axis)の反応において、腸内細菌叢の違いにより成長後のストレス反応が異なることや、脳由来神経栄養因子や神経伝達物質濃度にも影響することなどが示唆されています。
このように、腸内細菌叢(原核生物界)と宿主であるヒト(動物界)が「界を超えた情報伝達」を行っているという概念は医学的にも科学史的にも、大きな衝撃を与えつつあります。
1-2. プロバイオティクスとテーラーメイド医薬、未病マネジメント
菌叢のバランスを整え、健康に有益な乳酸菌やビフィズス菌などの菌種を「プロバイオティクス」(probiotics)と呼び、プロバイオティクスの餌となり、働きを助けるオリゴ糖などの物質を「プレバイオティクス」(prebiotics)と呼びます。また、プロバイオティクスとプレバイオティクスを最適な組合せで使用することを「シンバイオティクス」(synbiotics)と呼びます。さらに最近では、宿主の健康に有効な作用を発揮する不活化菌体やその構成成分、菌による代謝産物などを表す「ポストバイオティクス」(postbiotics)という語も使われ始めています。これらは現在、主にヨーグルトなどの発酵食品や機能性食品(サプリメント等)として開発されていることが多いですが、今後は一人ひとりの菌叢に合わせたテーラーメイド医薬品として未病改善・疾病予防や治療への展開可能性が考えられます。実際、米国のViome, Inc.<https://www.viome.com/>は個人のRNA菌叢解析による「Custom Probiotics」を提供するサービスを展開しています。
以上に俯瞰したように、腸内細菌叢の多様性を調べることで、病気の予兆発見や罹患リスク判定に利用する報告が年々増えてきており、将来的には病気予防や症状改善、治療等にも応用の可能性があると考えられます。まさに「新たなバイオマーカー/バイオセンサー」としてのマイクロバイオームの役割が見えてきたと言えるでしょう。
2. 世界のマイクロバイオーム関連情報解析
今回、弊社保有の特許・グラント(公的研究費)・論文・ベンチャー企業のデータベースを用い、2012年初から2022年末までの世界のマイクロバイオーム関連の文献を調べました。本稿では最近の特許と論文の動向を中心に紹介します。
2-1.作成した母集団(世界、2012-22年)の概観
4つのデータソース全てにおいて、米国と中国が優位にあります。特に特許出願数では中国が、グラント件数では米国が圧倒的に強いです。論文数では米中がほぼ互角。日本はグラント数で米中に次ぐ3位。
特許・グラント・論文の3ソースすべてにおいて、「がん」「うつ・自閉症・メンタルヘルス」が件数上位6分野に含まれています。
脳腸相関に関わる分野として、「うつ・自閉症・メンタルヘルス」のほか、「神経変性疾患(アルツハイマー病、パーキンソン病、多発性側索硬化症等)」や「HPA(視床下部・下垂体・副腎)軸」も特許、論文の件数上位6分野に含まれています。
2-2.世界の特許出願および論文発表動向
特許母集団53,000件余のうち、出願人名寄せにより、帰属国が明らかになった67カ国3,300社余の特許24,000件余について、年次推移を以下に示します。
圧倒的に中国からの出願が多く、それに次ぐ米国・韓国・日本を大きく引き離しています。また、中国以外は出願件数自体が2019年以降、大きく減少傾向にあります。
次に、論文の発表件数の主著者所属機関の帰属国別の年次推移を見ると、米国と中国がほぼ互角で、2012年以降、直近までほぼ並行した動きとなっています。3位以下のブラジル、インド、イタリア、英国などは論文件数で大きく劣後しています。
論文の勢いに比べ、特許における米国の出願動向は一見矛盾しているように見えます。ただし、中国の特許は国内出願が多く、有効特許の半数以上を国際出願している日・米・欧と単純比較することは困難です。
余談ですが、マイクロバイオームに限らず、多くの分野で中国の特許が飛躍的に伸びている背景には、中国政府が2006年に策定した「国家中長期科学技術発展計画(2006-2020年)」があります。この政策により、2020年までに研究開発支出の対GDP比率を2.5%以上に引き上げること、そして中国企業自らによる自主的なイノベーションを推進してきました<https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/14e056.html>。
2-3.特許の実力比較
上記出願人名寄せした24,000件余の特許群に対して、弊社独自手法によるスコアリング(定量評価)を行いました。評価指標としては、特許出願件数のほか、弊社が独自に定める指標であるPIS(patent_impact_score:個々の特許の相対的強さ・影響度)、PES(patent_edge_score:特定出願人の特許中の最高スコア)、TPA(total_patent_asset:特定出願人ごとの総合特許資産)を用い、それぞれ上位10件を以下の表に示します。
なお、スコアの定義や活用法については、詳細は以下を参照してください。
アスタミューゼの未来予測手法~『2060 未来創造の白地図』の舞台裏~(前編)
アスタミューゼ公式note
<https://note.com/astamuse/n/n2788bc17b07c>
件数上位には中国の大学が3校入るなど中国が優勢ですが、PES(最高スコア)では上位6位までを米国のベンチャー企業や大学が占めています。
PESは各社の最高得点特許を示すもので、最高得点以外の特許の価値を反映しているわけではなく、また、パテントインパクトスコアの計算では特許の被引用数の寄与が最も大きいため、比較的古い(残存有効年数が短い)特許が多くなる傾向にあります。
そこで、弊社が最も重視しているTPA(特許資産総量:平均以上の強みを持つ特許のスコアと権利残存年数の積の総和)で見ると、デンマークのプロバイオティクス会社クリスチャン・ハンセン(Chr. Hansen A/S)が首位、2位はネスレの研究開発を担う関連会社であるネステク(Nestec SA)となりました。TPA3位に日本の老舗である明治(Meiji KK)、6位には雪印メグミルク(Megmilk Snow Brand Co., Ltd.)が入っています。また、10位にはスイスのネスレ本社(Société des Produits Nestlé s.a)も入っています。
67カ国3,300社余のTPA値を、帰属国ごとに集計すると、米国と日本が1位・2位となり、3位と4位のフランスやデンマークに比べて3−4倍規模のTPAとなりました。日米の差はそれほど大きくはありません。一方、中国のTPAは10位でした。古来より発酵食品の伝統を持つ日本にとって、マイクロバイオームは、特許資産の観点でも強みが発揮できる産業分野と言えるでしょう。
(以下、各社・組織別の注目特許、技術、および今後の展望についてのまとめは弊社サイトでご確認ください
<https://www.astamuse.co.jp/report/2023/230602-mb/>)
さらに詳しい分析は……
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