たった一つのサンゴポリプで代謝物解析が可能に

サンゴを調べる新たな評価手法の確立に成功

産総研

・ 小さなサンゴポリプ1個での内因性代謝プロファイルの取得を実現
・ 化学物質がサンゴの内因性代謝に及ぼす影響を迅速かつ簡便に評価可能に
・ サンゴに悪影響を及ぼさない日焼け止めの新たな開発へ応用

  • 概 要 

国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)地質情報研究部門 井口 亮 主任研究員、鈴木淳 研究グループ長、地圏資源環境研究部門 飯島 真理子 研究員、近畿大学生物理工学部 財津 桂 教授(産総研外来研究員)、北里大学海洋生命科学部 安元 剛 講師、大野 良和 特任助教、水澤 奈々美 博士研究員、株式会社コーセー 研究所 菅 駿一 研究員、田中 健 研究員らは共同で、地球的規模および地域的規模の環境変化のために減少が危惧されている造礁サンゴ類(以下、サンゴ)への迅速な環境影響評価を可能にする新規の評価手法を確立しました。そして日焼け止めの成分などの化学物質がサンゴに及ぼす影響を代謝プロファイルから明らかにし、サンゴに対する新たな環境影響的知見を得ることに成功しました。本研究によって得られた成果は、サンゴなどの海洋生物を用いた環境影響評価方法の重要なモデルとして活用されることが期待されます。


なお、この成果は、令和6年3月5日(現地時間)に英国のNature Publishing Groupのオープンアクセス誌「Scientific Reports」に掲載されました。


下線部は【用語解説】参照


  • 研究の社会的背景

現在、人為的な化学物質の自然界への流出や栄養塩循環の崩壊による生態系への悪影響が非常に懸念されています。地球の限界を示すプラネタリーバウンダリーの観点では、九つの境界のうち、化学物質の流出と栄養塩循環の崩壊を含む六つの境界は既に越境しており(Richardson et al., 2023)、マイクロプラスチックを始め、海洋における化学物質の規制への取り組みの意識が高まっています。また、企業の環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)に対する取り組みを評価して行うESG投資に注目が集まっています。ESG投資をさらに加速させるTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)の最終提言が2023年9月に発表されるなど、自然環境に配慮した企業活動が強く求められ、ネイチャーポジティブの実現に向けた取り組みの重要性が高まっています。こうした背景から、化学物質が海洋生物にどのような影響を及ぼすのかを明らかにするための評価手法のニーズが高まっています。美しい景観で知られるサンゴ礁生態系(図1)は、沿岸保護、漁業、観光などさまざまな分野で重要な役割を担っています。しかし、その基盤を支えるサンゴが地球的規模や地域的規模の環境変化に鋭敏であるため、世界的に減少が危惧されています。サンゴが海洋生態系を代表する象徴的な存在であるため、サンゴに対する信頼性の高い環境影響評価手法の確立は急務となっています。特に近年、一部の日焼け止め成分がサンゴに悪影響を及ぼすとの報告がなされており、日焼け止め成分がサンゴに与える影響を迅速かつ簡便に評価する手法の確立が求められています。


  • 研究の経緯

産総研は、海洋生物の環境変化に対する応答を明らかにし、信頼性の高い環境影響評価手法を構築することを目指しています。そしてサンゴなどを対象に、飼育実験・遺伝子解析・化学分析を組み合わせた多角的なアプローチを用いた研究を実施してきました(2017年1月19日、2021年3月17日、2023年11月30日、2024年2月1日 産総研プレス発表)[1][2][3][4]。また、これまで主に医学分野において代謝物解析(メタボローム解析)の新たなプラットフォームとして活用されてきた質量分析装置:PESI/MS/MSを用いたメタボローム解析による異分野融合研究も展開してきました(2020年5月25日、2021年6月30日産総研プレス発表)[5][6]。


なお、本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業 挑戦的研究(萌芽)「サンゴエクスポソーム研究への挑戦」(代表研究者:井口 亮;2019〜2020年度)の支援を受けて実施しました。


[1]https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2017/pr20170119/pr20170119.html

[2]https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2021/pr20210317/pr20210317.html

[3]https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2023/pr20231130_2/pr20231130_2.html

[4]https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2024/pr20240201/pr20240201.html

[5]https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2020/pr20200525/pr20200525.html

[6]https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2021/pr20210630/pr20210630.html


  • 研究の内容

サンゴの代表的グループであるミドリイシ属サンゴの一斉産卵時(図2と2023年3月5日 産総研X動画)[7]に得られたサンゴ幼生を着底させ、人為的に共生褐虫藻を添加することで、褐虫藻有無の条件に分けたサンゴポリプを育成しました。研究グループのさまざまな工夫により、産卵の機会を複数回確保したり、また得られた幼生を比較的長く維持したりすることで、実験の機会を増やすことに成功しています。


育成したサンゴポリプを用いて、日焼け止め成分の一つであるオキシベンゾン-3と、サンゴ-褐虫藻共生体の環境感受性に影響を及ぼす栄養塩(アンモニウムと硝酸塩)暴露サンプルを用意しました。しかし、サンゴポリプの直径はわずか2 mm程度と非常に小さく、従来のメタボローム解析を適用する場合には、試料量を確保するために複数のサンゴポリプを混合し、抽出操作などの前処理を行う必要がありました。この場合、大量のサンゴポリプを育成する必要があることに加え、得られた結果も平均化されてしまうという欠点を有していました。そこで本研究では、微細試料の分析が可能なPESI/MS/MSを用いた新たな代謝解析プラットフォーム:PiTMaP(Zaitsu, Iguchi et al., 2020)をサンゴポリプに適用しました(動画1)。その結果、たった一つのサンゴポリプから代謝プロファイルを取得できることを新たに見いだしました。


                           動画1.PESI/MS/MSを用いて一つのサンゴポリプを直接分析する様子

※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)


特に、本研究ではサンゴポリプ一つごとに解糖系、クエン酸回路、尿素回路、ペントースリン酸経路、グルタチオン代謝、メチオニン経路を構成する代謝物を観察することに成功しました。得られたメタボロームデータはPiTMaPプラットフォームを応用することで、多変量解析も自動的に実行されます。多変量解析の一つである潜在構造投影判別分析(Projections to latent structures-discriminant analysis, PLS-DA)を適用した結果、褐虫藻のないサンゴポリプでは、オキシベンゾン-3によっていくつかのアミノ酸の減少など、顕著な代謝プロファイルの変化が見られました(図3上)。その一方で、褐虫藻を持ったサンゴポリプでは、オキシベンゾン-3暴露による代謝プロファイルの変化は見られませんでした(図3下)。同様の傾向は、アンモニウム暴露サンプルでも確認されました。これは、共生褐虫藻が暴露物質によるサンゴ本体への悪影響を除去している可能性を示しています。


今回確立した評価手法は、従来のメタボローム解析で必要であった煩雑な前処理操作が一切不要です。一般にメタボローム解析の前処理操作には1日から2日程度の時間を要していましたが、今回の手法を用いると、わずか3分程度でたった一つのサンゴポリプから内因性代謝物を解析することが可能となりました。


[7]https://twitter.com/AIST_JP/status/1632184247371849733


  • 今後の予定

今回確立された新たな評価手法は、ニーズが高まっているサンゴの環境影響評価に広く活用されることが期待されます。人為起源物質の影響軽減に向けた代替物質探索のための迅速な手法としても活用可能です。また、化学物質などのリスク評価だけでなく、成長増加・代謝促進のようなポジティブな影響評価に活用されることも期待されます。産総研では、今後他の研究機関とも協力して、今回の手法をサンゴ以外の海洋生物にも適用していくことも検討していきます。共同研究先のひとつである株式会社コーセーは、サンゴ養殖の専門家と共同で日焼け止めやその成分がサンゴの成育に与える影響の外観評価などを行ってきており(2022年2月7日、2022年4月13日 株式会社コーセーニュースリリース)[8][9]、今回の評価手法も活用することで、今後も海の環境に配慮した製品開発に取り組んでいきます。


[8]https://corp.kose.co.jp/ja/media/2022/02/20220207.pdf

[9]https://corp.kose.co.jp/ja/media/2022/04/20220413.pdf


  • 論文情報

掲載誌:Scientific Reports

論文タイトル:Single-polyp metabolomics for coral health assessment

著者:Akira Iguchi, Mariko Iijima, Nanami Mizusawa, Yoshikazu Ohno, Ko Yasumoto, Atsushi Suzuki, Shunichi Suga, Ken Tanaka, Kei Zaitsu.

DOI:10.1038/s41598-024-53294-8


  • 参考文献

Richardson, K. et al. (2023). Earth beyond six of nine planetary boundaries. Science Advances, 9(37), eadh2458.


  • 用語解説

プラネタリーバウンダリー

人類が地球上で持続的に生存していくために超えてはならない地球環境の境界を示す概念。

 

ネイチャーポジティブ

社会・経済活動による自然生態系の損失を食い止めて、回復させていくことを目指す概念。

 

メタボローム解析

代謝産物(メタボライト)の総体であるメタボロームの増減を、網羅的に解析する手法。

 

PESI/MS/MS

探針エレクトロスプレーイオン化タンデム質量分析(Probe electrospray ionization tandem mass spectrometry)のこと。先端直径700 nmの微細な金属製針を用いて試料を穿刺(せんし)し、針表面に吸着した生体内成分をイオン化して分析する手法。


代謝解析プラットフォーム:PiTMaP

2020年に井口主任研究員と財津教授が共同で開発した代謝解析の新たなプラットフォームのこと。上述のPESI/MS/MSを用いたメタボローム解析と統計解析言語Rによるバイオインフォマティクスの自動実行処理機能を組み合わせることで、極めて迅速なメタボローム解析を実装した。


潜在構造投影判別分析(Projections to latent structures-discriminant analysis, PLS-DA)

多変量解析法の一つで、多変量データ(多次元データ)について群情報を与えた上で低次元化し、データの傾向やプロファイルを把握する手法。

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会社概要

URL
https://www.aist.go.jp/
業種
官公庁・地方自治体
本社所在地
茨城県つくば市梅園1-1-1 中央事業所 つくば本部・情報技術共同研究棟
電話番号
029-862-6000
代表者名
石村 和彦
上場
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資本金
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設立
2001年04月